■組合の沿革 |
大正7年燕磨組合(8人)が設立され、幾つかの改組の後、昭和45年に新潟県鍍金工業協同組合が設立された。三条では昭和5年に三条メッキ組合の発足から始まり、三条電気鍍金工業会と組織化を図った。
その後、技術面、資金面および公害問題、各種の資格取得など様々な問題が持ち上がり、これらの解決のためにも組合の県下統一が叫ばれ、昭和46年に二つの団体が合併して新潟県鍍金工業会となり、県下全企業に工業会への加入を呼びかけ、公害防止管理者認定講習会の県内開催、陳情、工業排水の自主点検の実施など組織固めを行った。
そのころ、全鍍連の前身である日本鍍金工業組合連合会が法人化されるにあたり、その構成員たる資格は鍍金工業組合に限るとなり、それに合わせて組織変更を申請し、昭和47年7月29日に認可され現在の新潟県鍍金工業組合となった。初代理事長に野水重太郎氏が就任し、組合員104社、賛助会員25社でスタートし現在に至る。 |